映画「メッセージ」を見て思う事

 昨日、近所の映画館で「メッセージ」を見てきました。何となく柿の種のような(ばかうけの方が正しかったみたいですが・・)宇宙船がちょっと気になった程度で見て見てみようと思っただけなのですが、なかなか、色々な示唆に富んだ映画でした。
 基本的には、未知の宇宙人とのコミュニケーションを取る過程が殆どなんですが、時間軸的に行ったり来たりするので、結構解りにくく、しかしそれがそもそもこの映画の主題なんだろうと思うのですが、それ以上に相手から聞くという事の重要性について考えました。
 システムの業界って、こんな事を実現したいというクライアントの言っている事を、開発者がよく理解出来ない時に、大抵、よくない事が現実化します。それをクライアントが避けたい場合には、高い金を払ってコンサルタントを雇い、その間に入れる事もあります。同じ言葉を使う相手でさえもこんな事は日常茶飯事なのですから、映画のように全く相手に言葉(=WORD)が通じないとしたら、その苦労は大変なものです。
 お互いが相手を理解する為には、少なくともどちらか一方が一旦は聞き役になる必要があります。伝える側は相手を理解すると言う事を目的にはしていないので、聞き役しか相手を理解する事は出来ません。聞き役は「あなたが伝えたい事はこのことですね?」と理解している事を相手に伝え、信用を得た上で次のステップに進む事が出来ます。映画のラストでは主人公が重要人物に伝えたい事を伝える為に、相手を理解していると言う事も同時に伝える事で信用を得ていますが、これは、その重要人物からそれを聞いた事に起因しています。未来に、ですが。
 結局のところ、人と人(または人以外の何か)の関係は、信用しているか?疑っているか?無関心か?の3つの状態を互いに9通りを時間軸で行ったり来たりしているだけと言えば、だけなのかもしれませんが、最低でもどちらか一方が聞くスタンスを持ち、多少なりとも聞く為の技術を持っていれば、信用しているか?という要素がいつのまに何処にも無くなっていたという状況は避けられると思います。
 もうひとつ、この映画に出てくる象徴的な言葉として「ノンゼロサムゲーム」がありました。宇宙人がなぜ地球に来たのかはネタバレなので避けますが、それは数千年後に起きる出来事に関してなので、直接的な利害関係は全く無いようなものです。利害関係が無いのに、なぜ相手を信用出来ないのか?逆に言うと相手を不信に思う時は、ただ単純に相手が嫌いなだけ(信用していない側の問題)か、何らかの「ゼロサムゲーム」的な、勝ち負け、損得の要素が相手との関係の中に生じたと言う事なんでしょう。