手段は一人で歩いていく

 1年ちょっと前から、筆者は毎週2回早朝にジョギングする事を日課にしていますが、元々は運動不足解消が目的でした。それが、ある程度続いた後に、目的から明確な目標になり、その目標も都度変わってましたが、現在の週2回という目標に基づいた日課、週課?になってます。

 慣れていくにつれて何キロ走るとか、何キロまで歩かないで走るとか、元旦なら近所の神社を何箇所初詣するとか、毎回少し違った目標も絡めながら楽しんでますが、運動不足解消という目的に対しての走るという手段は変わりません。でも、システム開発の仕事をしていると、この手段がいつの間にか目的に変わっている事をよく見かけます。

 何らかのシステムを構築するという事は、何らかのシステムで実現したい目的があってこそなのですが、目的を達成する為の一手段でしかないシステム構築自体が目的化するという、あるある話で、その時の立場によっては、あれ?何かおかしいよ?と感じても主張しずらいんですよね。特にシステム方式が殆ど決まっているようなフェーズから参加するとそれを覆すのは並大抵の事ではありません。一度、偉い人にプレゼンした形は変わりません。何故なら、既にプレゼンした形を実現するのが目的になってしまっているので。。

手段が目的に変わってしまうのは、目的が曖昧だったり、そもそも実現性が無かったり、時間を経て目的が陳腐化していたりと、色々背景が違いますが、手段が一人歩きして本来の目的からずれていると気がついたら早めに何らかの対処をしたいものですね。